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岩崎民男

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岩崎 民男日語いわさき たみお、1894年8月8日-1978年1月30日)為日本陸軍軍人。最終階級陸軍中將

經歷

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山口縣出身。農業・岩崎孝長男。就讀過萩中學校廣島陸軍地方幼年學校陸軍中央幼年學校本科等校、1915年(大正4年)5月、陸軍士官學校(27期)畢業。同年12月、任官步兵少尉擔任步兵第20連隊付。1922年(大正11年)11月、陸軍大学校(34期)畢業。

1923年(大正12年)12月、為參謀本部付勤務、任過參謀本部員,1926年(大正15年)3月、任陸軍兵器本廠付後為陸軍派遣學生進入東京帝國大學法學部學習。1929年(昭和4年)3月、派令為陸軍技術本部付兼陸軍省官房付、之後轉任兵器本廠付(陸軍省調査班)。1930年(昭和5年)8月、步兵少佐,1934年(昭和9年)8月、昇進步兵中佐。1936年(昭和11年)8月、就任人事局徴募課員、1937年(昭和12年)8月、轉任朝鮮軍參謀,同年11月、進級步兵大佐

1938年(昭和13年)9月、就任步兵第47連隊中日戰爭出征。1940年(昭和15年)12月、昇進陸軍少將著任歩兵第39旅團長。1941年(昭和16年)11月、擔任興亞院蒙彊連絡部長官接著迎接太平洋戰爭。1942年(昭和17年)11月、轉任大東亞省張家口駐在公使、1944年(昭和19年)3月、進升陸軍中將。同年7月、就任第111師團長、在濟州島構築防禦陣地以準備抵禦同盟國軍登陸戰。並無戰鬥發生最後迎接終戰。1945年(昭和20年)12月、被編入預備役

親族

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參考文獻

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  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。


官衔
前任:
(創設)
日本 張家口駐在公使
初代:1942 - 1944
繼任:
楠本實隆