铃木俊一 (东京都知事)
外观
铃木俊一 | |
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第9-12任民选东京都知事 | |
任期 1979年4月22日—1995年4月22日 | |
前任 | 美浓部亮吉 |
继任 | 青岛幸男 |
个人资料 | |
出生 | 大日本帝国东京府北多摩郡中神村 (现昭岛市) | 1910年11月6日
逝世 | 2010年5月14日 日本东京都杉并区永福 | (99岁)
政党 | 无党籍 |
配偶 | 铃木敦 |
儿女 | 铃木纮一(长子) 铃木悠二(次子) |
父母 | 铃木俊雄(父) |
亲属 | 中沟昌弘(外曾祖父) 中沟五郎(外祖父) 青木昌吉(外伯祖父) 石田馨(岳父) |
母校 | 东京帝国大学法学部政治学科 |
职业 | 内务省、地方自治厅公务员 |
铃木俊一(1910年11月6日—2010年5月14日),日本政治人物、内务官僚。东京都名誉都民、北京市荣誉市民[1]。
生平
[编辑]1910年,东京府北多摩郡出生(父亲是山形县大江町出身)。毕业东京帝国大学法学部政治学科,1933年 加入内务省(地方局分配)。1938年,内务省地方局行政课事务官。进行选举法修改。1945年,内务省地方局行政课长。1948年,总理厅内事局庶务课长。1949年,地方自治厅联络行政部长。1950年,地方自治次长(次官级)。1958年6月,第2次岸内阁的内阁官房副长官。1959年,东京都副知事。1979年4月,东京都知事初次当选(此后连任四届)。
著书
[编辑]- ‘实例判例挿入地方自治法讲义’(金丸三郎との共著(讲述)) 1947年 东光出版社
- ‘新地方议会の运営 都道府県市町村议会’ 1948年 时事通信社
- ‘地方自治制度’(公务员选书・第4) 1950年 学阳书房
- ‘新地方自治制度’(全订版)(公务员选书・第4) 1961年 学阳书房
- ‘东京の明日を拓く 东京都知事铃木俊一発言集’ 1982年 ぎょうせい
- ‘世界都市东京を语る’ 1986年 ぎょうせい ISBN 4-324-00603-2
- ‘多摩ルネサンスの提言 产・学・官・民交流による多摩ルネサンス・シンポジウム'86の记录’(多摩川流域テクノルネサンス研究协会/编・共著) 1987年 自治日报社 ISBN 4-915211-08-8
- ‘东京・21世纪への飞翔’ 1990年 ぎょうせい ISBN 4-324-02478-2
- ‘地球时代の首都経営’ 1994年 ぎょうせい ISBN 4-324-04311-6
- ‘回想・地方自治五十年’ 1997年 ぎょうせい ISBN 4-324-05326-X
- ‘官を生きる 铃木俊一回顾录’(政策研究院政策情报プロジェクト监修) 1999年 都市出版 ISBN 4-924831-88-3
- ‘国づくり ロングインタビュー’〔読売ぶっくれっとno.47 时代の证言者7) (下河辺淳/著・铃木俊一/述) 2005年 読売新闻东京本社 ISBN 4-643-05020-9
ほか多数
参见
[编辑]注释
[编辑]- ^ 鈴木俊一名誉顧問(元都知事)が死去 | 認定NPO法人 東京都日本中国友好協会|日中友好協会. [2016-07-27]. (原始内容存档于2016-05-13).
官衔 | ||
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前任: 美浓部亮吉 |
东京都知事 公选第9 - 12代:1979年 - 1995年 |
继任: 青岛幸男 |
其他职务 | ||
前任: 林敬三 |
日本善行会会长 第7代:1990年 - 2004年 |
继任: 川村皓章 |
前任: 奥田良三 |
全国知事会会长 第6代:1980年 - 1995年 |
继任: 长野士郎 |